仕事か「女の幸せ」か 1度目の離婚

離婚ストーリー


私はバツ2です。2度も離婚したかったわけではありませんが、2度の離婚をしてしまいました。
最初の離婚は29歳の時でした。所謂「適齢期」の24歳に当時勤務していた会社の同僚と結婚しました。けれど、義家族の過干渉に耐えられなくなり、離婚という選択をしました。

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仕事か「女の幸せ」か

結婚して5年経ったある日、義母に呼び出され、こう言われました。

「仕事を取るか、子供を産んで女の幸せを取るか決めてちょうだい」

この人は、なにをふざけたことを言っているんだろう、と言うのがその言葉を聞いた私の正直な気持ちでした。

当時、私が働かなければ経済的に厳しい状況でしたので、私はフリーランスでの仕事と契約社員、そしてNPOの運営といくつもの仕事をしていました。働くことは好きでしたし、将来、家を買いたいと思っていました。
仕事を理由に家事もを手抜きしたこともありませんでした。食事もお惣菜などは使わず、きちんと料理をして、夫には毎日お弁当も作っていました。夫に頼んだのはゴミ出しとお風呂掃除くらいでした。
子供のことは、夫の方が積極的ではなかったので、それはそれでいいか、という感じでした。

私をコントロールしたかった義両親たち

義家族は、私たちの生活にとても干渉的でした。義両親だけでなく夫の叔父や叔母、義姉が一丸となって、住む場所や購入する車、果ては夫婦生活にまで口を挟みました。

結婚を決めた時、義両親は、自分たちとその母親(夫の祖母)が住む、小さめの3LDKの家に同居しろと言いました。けれど、そこには毎週末、叔父夫婦と義姉夫婦が子連れでやってきます。そして、私たち夫婦の生活スペースは6畳一間だけ。そんな家に同居できるはずなどありません。私と夫は何かと理由をつけて、アパートを借りることで話をつけました。

結婚してからは、それについて何度も
「アパートを借りて生活するなんて贅沢だ」
と義両親は言いました。

自分の娘にはマンションの頭金を出してやり、マンションを買って夫婦と子供達だけで住んでいるのはどう説明するの?
と思いました。こっちは一円だってアンタたちに頼ってない、と。

古くなった車を買い換えると言えば、
「俺たちを乗せてどこでも行けるように大きな車を買ってくれ」

頭金出してくれるんですか?と聞けば、出さない。
車の頭金は私が出して、大きくないほどほどのものを買いました。

義両親は、自分たちの思い通りに動いてくれる嫁が欲しかったのだと思います。車を持たない義両親にとって、別居を強行し、平日は仕事をしていて自分たちを行きたいところに連れて言ってくれない私が気に入らなかったと思います。結婚して5年経っても、子供を産まないことも気に入らなかったと思います。

私がいない時に、夫が義両親に何を話していたかは知りません。けれど、マザコン、ババコン気味の夫は、私には言えない不満を言っていたのかもしれません。そして、夫には勤務先にお気に入りの若い子がいるようでした。

そして、件の義母の発言となったのです。

その時、私はそれまで我慢して来た何かがプツンと切れました。
この一族に、私の人生を指図されるのは耐えられない、と思いました。そして、私は答えました。

「わかりました。では、仕事を選ばせていただきます」

夫に、このことを伝えると、
「わかった」とだけ。

彼は用意した離婚届に判を押すと、私が頭金を出して買った車(夫名義になっていた)に私物を積み込み、私が貯めた夫名義の預金通帳を持って、実家へと戻って行きました。
住んでいたアパートを引き払うのも、不要物の処分も、その費用の支払い全てを私がしなければなりませんでした。

もしかすると、義母の発言は夫の希望だったのかもしれません。

そんなふうに、離婚を望んだわけではなかったのに、ある日突然、私は離婚を決意することになりました。
義家族にうんざりしていた私は、正直ホッとしていた部分もありました。もう、これで誰も私の人生を邪魔しない、と。

1度目の離婚に思う 未熟で身勝手だった私

そんなこんなで、離婚した数年後、友人に「私も色々と反省しなきゃいけないことはある」と言うと、友人は
「あなたの1番の問題は、男を見る目がないところ。離婚させられたようなものなのに、慰謝料もらうどころか預金通帳まで持って行かれて!」
と、呆れ顔。

この最初の結婚は、いわゆる「若気の至り」のような部分もあったと思います。元夫も私もまだ未熟で愚かな部分があったと思います。当時の私はまだ若く、身勝手で自分のことしか考えていないところがありました。
友人が言うように、私の「男を見る目」にも問題があるのでしょうが、「私自身」にも問題があったはずです。元夫にも元義家族にも問題がありましたが、彼らだけの問題で離婚に至ったわけではないと思います。

20代後半の私は、我が強く上昇志向で、怖いものなんてありませんでした。自分の実力を過剰評価し、何でもできると思っていました。
「日々が平穏に過ぎていけばいい」と言う現状維持派の夫が不満で、見下すような発言をしていたと思います。
そんな態度をとるパートナーと一緒にいたいと思う人はいないはずです。

離婚した後、特に落ち込みもせず、仕事に夢中になっていた私は「離婚で傷ついていた」とは言えません。むしろ、離婚によって解放された気分になっていたのです。
このことは、自分がいかに身勝手だったかを語っていると思います。きっと元夫をひどく傷つけていたと思います。

そんな自分に呆れて、私はそれから40歳までをシングルで過ごし、再婚を考えてはいませんでした。

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2017年8月19日離婚

Posted by Hana