離婚の苦しみ 真っ暗なトンネルの中、その先の光

離婚ストーリー


2度目の離婚は、私が44歳の時、結婚して3年と少し経った時でした。
自ら選択した1度目の離婚と違い、これはとても辛い離婚でした。今も、その傷が痛むことがありますがここ2年ほどで、ようやくその離婚について笑って話せるようになりました。それまでは、離婚について話すことも辛く、話したくありませんでした。

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経験してわかった苦しみ

この時、私は初めて「離婚の苦しみ」を知りました。

離婚の苦しみは、経験した人でないと理解できない苦しみのひとつです。「身を裂かれるような苦しみ」や「出口のない真っ暗なトンネルの中」と言う表現は経験しなければわからない痛みや苦しみと言えます。

離婚から半年くらいすると、周りの人は「いつまでもメソメソしているの」とか「あんな人のことは忘れなさい」と言いますが、それは経験していないから言える言葉です。もちろん、それを言う人に悪気はありません。励まそうとしているのですが、離婚した当事者にとってその言葉はなんの励ましにもなりません。

「放っておいて」そう思うだけです。

身を引き裂かれるような心の痛み

「離婚を言い出した側」と「離婚を言い渡された側」では、その苦しみが随分と違います。

私の1度目の離婚は、私が自ら選択し元夫もそれを望んでいたので、反省することはたくさんあれど「苦しむ」ことはありませんでした。
けれど、この2度目の離婚は、私が今までの人生で経験したもっとも辛く苦しい出来事でした。あの頃の私は、ひどく落ち込み、自ら命を絶つことすら考えた、「暗黒の時代」でした。

一番ひどかった時期は、医者から処方された抗うつ剤を服用しながら、仕事に行っていました。この頃の私は、仕事に行っている時間以外は、ずっと泣いて、死ぬことばかり考えていました。

できれば、仕事に行かず一日中眠っていたかったのですが、そんなことをしていたら家賃が払えません。どんなに辛くても仕事に行くしかありません。

食事を作る気力も、食べる気力もなければ、薬を飲まなければ眠ることもできませんでした。けれど、生きている以上「食べなければいけない」のでスーパーに行くのですが、幸せそうなカップルや家族を見るのが辛くて、人の少ない深夜のスーパーに行っていました。

真っ暗なトンネルに一人ぼっちで、出口は見えない、心の中にはいつも重たい石が入っている、そんな苦しみでした。

誰も私の苦しみをわかってくれない

それを何とか乗り越えるために私がやっていたことは、その時の気分をノートに書き殴ることでした。離婚した後、親しい友人に話を聞いてもらいましたが、余計に憂鬱になるばかりでした。

「さっさと忘れて次に行きなよ」と励まされても、「あんな男、やっぱりビザ目当てだったんだよ最低だね」と元夫の悪口を言われても、心は重くなるばかりでした。

口の軽い友人に、私の離婚を面白おかしく話されてしまったり、私の離婚を知った知人が、私の前で自分の夫自慢を始めたり……。
心配して食事に誘ってくれる友人に感謝する反面、人間不信になりそうになった時期でもありました。

そんなこんなで、私は通院していた心療内科医以外に、自分の気持ちや離婚について一切話さなくなりました。

けれど、自分の感情を溜め込めば苦しくなってきます。それを吐き出す先がノートだったのです。文字も文章もめちゃくちゃです。とにかく、心の中の言葉を全部書きなぐり、泣きたいだけ泣いて。そうすることで、どうにか私は毎日をやり過ごすことができていました。

あの頃、生きる気力も無くし、真っ暗なトンネルの中で泣いているしかなかった私。

それでも、時間はゆっくりと私の心を癒してくれました。とても辛い道を通って、今は、ほんの少し明るいところに来ました。支えてくれた友人を始め、大切なものに気付く事が出来たし、何が大切なのかを考える事も出来ました。

今も、決して良い状況とは言えませんが、あの苦しみを乗り越えたのだから、まだ頑張れる、そう思います。

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離婚, 国際離婚

Posted by Hana