国際結婚から国際離婚 離婚の苦しみから解放された瞬間

離婚ストーリー

海の写真

二度目の離婚から約6年、だんだんとそれは「昔の話」になってきて、今はそれを普通に話すことができます。けれど、離婚した後、私の毎日は、ただ、ただ絶望的でした。「仕方ないから生きている」という状態で、何かを楽しいと感じる事も、面白いと感じることもありませんでした。あの頃の私は、何の光も見えない、真っ暗なトンネルの中で、何とか光を見つけようともがき苦しんでいたと思います。
朝起きて「生きている事」に絶望しながら、薬を飲んで仕事に行き、部屋に帰れば泣きつかれて眠るだけ、その繰り返しでした。
それは、永遠に続くかに思えた苦しみですが、私の場合、ある出来事で、すっと軽くなりました。

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最後まで他人任せだった元夫

元夫は離婚する時に、離婚届にサインし、捺印する以外の事は何もしませんでした。役所に離婚の書類を貰いに行くのも、手続きをするのも私。アパートを解約するのも私でした。
したくもない離婚のために役所に行った時、泣くのを必死にこらえていたのを今も覚えています。歩道橋からみた夕日が涙でにじんでいた風景は、きっと生涯忘れられない気がします。

離婚届に捺印すると、元夫は自分が必要な物だけを詰めたスーツケースを持ち、ウキウキしながら出て行きました。

その後、私は離婚届を役所に提出し、そのまた一ヶ月後に引っ越しをしました。
今のアパートへ引っ越した翌日、私は区役所へ転出・転入手続きに行ったのですが、そこで事件が起こりました。
以前の住所から、今の住所へ住民票を移そうとしたところ役所の担当者が「世帯主はHanaさんですよね。こちらの方が残ったままになるので、手続きしてください」と言うのです。
つまり、元夫が区役所で転出の手続きをしておらず、私が世帯主になっている住所にそのまま残っているのです。世帯主のない住民票をそのままに出来ないので手続きが必要なようです。

当時、とても不安定だった私の心は、そのことに、とても動揺しました。
区役所と郵便物の手続きはするように言っておいたのに、なぜやってないの?まだ私にやらせるつもりなの?と。
それは、怒りにも似た強いストレスでした。

離婚した夫は、もはや他人

私は、役所の担当者に「それは離婚した元夫です。なぜ、もう関係ない人の手続きを私がしなければならないのですか?やりたくありません。もう無関係の人です」と強い言葉で言いました。
きっと、その時の私は酷い顔だったのでしょう、役所の人は、事情を察したようで「わかりました。こちらでやっておきます」と言いました。

私は、その事を元夫に連絡しませんでした。「自分を捨てた外国人」が、どうなろうが知った事ではないと思ったからです。まだ愛していましたが、同時に、憎しみのような気持ちもありました。

そしてもうひとつ、私は引っ越す時に、郵便物の転送手続きもしましたが、自分宛の物だけを転送するように手続きをしました。元夫の新住所を知っていましたが、彼に自分でするように伝えていたので、元夫の分は放っておいたのです。

案の定、引っ越してしばらくすると、元夫宛の郵便物が、私の住所に転送されてきました。
私は、元夫に郵便局に行って手続きをするようにメールを送りました。手元に送られて来た郵便物は、元夫の住所へ送りましたが、数ヶ月後、また元夫の郵便物が転送されて来たのです。

残っていた愛情が一瞬で消え去る

以前の住所に送られる元夫宛の郵便物は、一緒に住んでいた頃から殆どなかったので、元夫は放置したままにしていたのでしょう。私は再度、元夫に郵便局に行って手続きをするように連絡しました。
そうすると、彼は「わかった。今度、ちょっと会わない?郵便物も受け取りたいし」と返事が来ました。おバカさんな私は「やり直せるかも」なんて期待してしまいました。

元夫のお昼休みに、職場近くのカフェで会う事になりました。私は郵便物と元夫が好きだったお菓子を持って、元夫が指定した待ち合わせの場所に行きました。
10分程遅れてやって来た元夫は「なんでここはこんなに人が多いんだ。おかげで道を間違えた」と、不機嫌に言いましたが、疲れているのかな?と思い「お昼だからね」と答え、カフェに入りました。

郵便物とお菓子を渡し、近況を報告しあった後に、以前、一緒に見ていたドラマの話をしました。私はドラマのタイトル"HOUSE"を、うっかり日本語タイトルの"Dr.HOUSE"(ドクターハウス)と言ってしまいました。彼は、日本語タイトルが"Dr.HOUSE"である事を知っています。けれど、彼は私をバカにするように
「なにそれ?誰も"Dr.HOUSE"なんて言わない。"HOUSE"だろ」
と言ったのです。

その瞬間、私の中で、何かがすぅーっと引いて行きました。それは、深い霧がさっと晴れていく感覚に似ていました。
同時に、私の心の中で、氷のようになって固まっていた元夫への愛情が、一瞬で気化するように消えたのです。

そして、私は
「日本語タイトルは"Dr.HOUSE"、ここは日本だからそれでいいの。IKEAも"イケア"で"アィキア"じゃない、Godivaも"ゴディバ"、"ゴダイヴァ"じゃない!ここは日本!それがイヤならさっさと国に帰れ!」
と英語でまくしたて、「豆鉄砲を食らった鳩」みたいな顔をしている元夫を残して、私は席を立ちました。
元夫とは、それっきりです。

やっと見えた真っ暗なトンネルの出口

なぜ、元夫の「バカにした言い方」で、一瞬にして冷めたのか、私自身にも分かりません。今まで見えていなかった元夫の「本質」のようなものが、やっと見えたのかも知れません。
けれど、それ以来、元夫との結婚生活を振り返ると「おかしなこと」がたくさんあったと感じるようになったのは、確かな事です。

友人曰く「もしかして、モラハラ洗脳が解けたんじゃない〜?」
冗談のつもりで言ったようですが、今思えば、それは当たらずとも遠からず。元夫はモラハラ気味、経済的DV気質であったと思います。

元夫から離婚を宣言されて1年半程、私はやっと暗いトンネルの向こうにある光を見ました。

さて、その後も、郵便物が転送されてきたのですが、私は元夫宛に来た郵便物を持って郵便局へ行き、「この人はここに住んでいないので配達しないで下さい」と言いました。

誰が、もう他人になったモラハラ男の転送手続きなんかしてやるか!

そうやって、私が元夫を思い出して未練がましく苦しむことはなくなりました。出口の見えない真っ暗なトンネルの先に、やっと光が見えた瞬間です。

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Posted by Hana