言葉ばかりの「多様性」 お手本通りの人生だけが正しい国、日本

シングルのユウウツ

カラフルなアヒル

このところ、何かと理不尽な出来事が多くストレスばかりがたまります。この勢いでお金が貯まったらいいのに、と思うほどです。

差別的な待遇に遭遇するたびに思うのは、日本社会は「こうあるべき」という型にはめて、「それ以外は間違い」と決めつける傾向にあると言うことです。
最近よく耳にする「多様性」という言葉も、言葉だけ。実際の所は多様性など認めない、という風潮だと感じるのは私だけでしょうか?

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選択肢を増やす事がなぜ問題なのか分からない

例えば、一向に認められない「選択制夫婦別姓」や「同性婚」。何がいけないの?と思います。どちらも誰かに強制するものではなく「多様な人生や人がいる中で選択肢を増やす」というものです。
これらに反対する人は、結婚したら同じ姓を名乗るのが普通、姓が違うと離婚が増えるから、結婚は異性とするもので少子化に拍車がかかる、などなど色々な理由を挙げます。

けれど、同じ姓を名乗っても離婚はしますし(私は2度の離婚どちらも同姓でした)、少子化の問題は同性婚ではなく「安心して子供を産み育てられない国」にした政府の問題です。
同性婚が出産につながらないから反対、と言う人もいますが、海外では異性婚でも同性婚でも養子縁組をして子供を持つ人だって多くいます。恵まれない境遇の子供達に愛情を注いでくれる家族ができるなら、それは喜ばしいことではないのでしょうか?
同性婚の親だと子供が不幸になる、という人がいますが、そんな考え方をする人がいるから問題なのです。

別に、いいじゃない。お父さんが二人でも、お母さんが二人でも。

「子供は、お父さんとお母さんが揃った家庭で育つべき」「子供は血がつながった実子であるべき」そんな考え方は「多様性」とは真逆の考え方です。

世の中には色々な人がいて、色々な人生があります。多くの人は異性のパートナーと出会い、結婚し、子供が生まれ家庭を持つでしょう。けれど、そうではない人生を生きる人だっているのです。シングルで生きる人、未婚で親になる人、子供のいないカップル、離婚する人、異性愛者、同性愛者、心と体の性が一致しない人、心や体に色々な個性を持つ人、などなど。「マイノリティ(少数派)の人生」は「間違った人生」ではありません。

「多様性」という「流行」

今の日本社会は「生きづらい世の中」だと感じます。
シングルというだけで、仕事では無理を強いられますし、父親が意識不明の寝たきりになっていても仕事は休めせん。休むと大変な事になってしまうからです。本来の責任者である上司は人員の補充も問題解決もしないまま、長期休暇に出かけ、責任は私に降りかかります。
私は「この仕打ちを一生忘れない」と思うくらい怒っています。

もう、
どす黒い感情
しか湧き出てきません。

ライフスタイルによって職場の扱いが公平ではないと感じることのひとつに、産休や育休、時短勤務があります。それらを利用する同僚のために、独身者が負担を強いられるという状況はよく聞く話の一つです。そんな独身者側の不満に対して、負担をかけている側が「お互い様じゃない」と言うケースがありますが、「お互い様」と言えるのは、全員がワーキングマザーの職場くらいでしょう。
誰もが100%結婚・出産できるなら、「お互い様」ですが、世の中はそうではありません。結婚したくてもご縁がなかった、子供を持てなかった、色々な人がいます。
既婚か未婚か、子供がいるかいないかで待遇や配慮が違うのは、公平な事とは言えません。独身者は税金面でも仕事面でも負担ばかり、そんな気分です。

世の中は、既婚・子持ちが圧倒的多数です。だから、何もかもが、マジョリティ(多数派)に配慮しておけば大きな問題にならない、と考えているのかもしれません。日本社会にとって「多様性」という言葉は「流行語みたいなもの?」と思ってしまいます。

「女性が輝く社会」というスローガンも、「結婚、出産しても女性が」という前提のもとだと私は思っています。そこに、低所得の中高年シングルは含まれていません。「結婚出産した女性たちが輝くために、たくさん税金を納めて、仕事も無理をしてね。だって、あなたたちは子供を産まないんだから」と言っているようにすら感じます。

何の期待も持てない国 日本

人間には、残念ながら「自分より不幸な人間を見て自分の幸せをかみしめる」という面があります。政府が、非正規雇用者の苦しい状況を把握しているにもかかわらず、まっとうな対策を講じようとしないのは、今の世の中に不満を持つ「マジョリティの人」が「でも、あの人たちよりマシ」と不満を爆発させないため?と思ってしまうほどです。

それは、江戸時代に「士農工商」の下に、さらに下の身分を作ったことと似ています。

日本人にとって「多様性」の定義は、一定の条件のもと「一般的な人生を生きている範囲での多様性」だと感じます。政治家もマイノリティのための政策に真剣に取り組んでいるように見えないのは、選挙で票が取れないからでしょう。マイノリティのための政策を掲げても、マイノリティな票にしかならないからです。

政府には1ミリの期待もない、その一言に尽きます。
新しい時代、クール・ビューティーな響きの「令和」に期待や希望を抱く人たちもいますが、私は何の期待も持っていません。希望は捨てていませんが、期待はしていません。

私には、もう頼れる人はいません。心を開いて悩みを相談できるような友人もいません。かつてのシングル仲間は妻や母になり、私の悩みは共感されないものとなりました。
そして、行政は全くもってあてになりません。
これから先も、私は理不尽な出来事と戦って、一人で生きなければなりません。
人生は、誰かや行政をあてにするものではなく、希望を捨てず自分を信じ、自ら切り開いて行くものだと思っています。

期待できするとすれば、他人や行政ではなく、それは「自分自身」です。

……って、カッコよく生きたいなぁ。

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シングル, 多様性

Posted by Hana