生命維持措置と尊厳死 生きる尊厳って何なのだろう?

マイライフ

タンポポの綿毛

父の転院先が決まりました。面談と見学をし来週にでも転院となりそうです。
転院先の病院は、同じような状態の人が入院しています。病棟の5人部屋には意識のない父と同じような人たちがベッドに横たわっていました。
私は、そんな様子を見て、とても悲しくなりました。そして、「生きている尊厳」って一体何なのだろう?と思いました。自分で動くことも食べることもできず、意識もない。鼻からのチューブや胃ろうで栄養と水分を入れ、口腔内のケアも排泄の世話もしてもらわなければなりません。本人も家族も辛いはずです。

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「リビング・ウィル」尊厳死を望んだ父

両親は「尊厳死」を望み、『日本尊厳死協会』の会員になっていました。「植物状態になったり、もう助からないとわかっている場合は、延命治療とかしなくていい」と常々言っていた両親。
どうやら、父の兄弟(私には叔父にあたる人)が、植物状態で延命措置をしながら何年も生きていた頃に、「リビング・ウィル(終末期医療における事前指示書)」を作ったようです。そのことについて私に話した時、母は「今、生きている人間の人生が大事だから、罪悪感は持つな」と言いました。
母は倒れてそのまま旅立ったので、「尊厳死」で悩む必要はありませんでした。本人が望んでいた通り「倒れてそれっきり」で旅立ちました。

けれど、父は「意識の回復はない」と言われ、眠ったままです。
父の意思を尊重して、病院に運ばれた時から「延命措置は不要」と医師には伝えていました。容体が急変しても、心臓マッサージを行ったり人工呼吸機をつけて「延命」することはせず、自然に命を終えられるように、と。父が「出来る限りの手を尽くしてほしい」と言っていたなら、回復の見込みが限りなくゼロに近い手術もしてもらったかもしれません。

今、思うのは「尊厳死」って何なのだろう?一体、どこからどこまでが延命措置なのか?です。

自力で食事できなくなった父に、鼻からチューブを入れて栄養を送るのは「延命措置」ではないのか?と思います。
父本人に「どうしてほしい?」と聞けたら良いのですが、それも出来ないので、病院が「延命措置ではない」と言えば、そうするしかありません。

父が署名した『尊厳死協会』の「リビング・ウイル(終末期医療における事前指示書)」には「私が回復不能な遷延性意識障害(持続的植物状態)に陥った時は生命維持措置を取りやめてください」とあります。
植物状態が3~6ヶ月以上続くと、持続的植物状態と定義されるようで、今のところまだその状態ではありません。

けれど、いずれ、父の「リビング・ウィル」の内容について考えなければなりません。

「延命措置」と「生命維持措置」

問題は「延命措置」と「生命維持措置」の違いです。私は鼻から栄養や水分を補給することが「延命措置」であるかどうかは分からないですが、「生命維持措置」には該当すると思っています。

父は、「リビング・ウィル」でそれを拒否しているのです。

「尊厳死」というのは、とても難しい問題だと思います。「尊厳死」は「安楽死」とは違います。この二つはしばしば同じことのように捉えられていますが、安楽死は「苦痛を除いて死期を早める」ことですが、尊厳死は「死期を引き延ばすことをやめる」ことです。

世の中には、「どんな状況になってもあらゆる手を尽くして1秒でも長く生きたい」と思う人と、「回復の見込みがないなら、無駄なことはやめて逝かせて欲しい」と思う人がいます。
「息をしているだけでもいいから、生きていて欲しい」と望む家族もいますし、「何もできなくなって、息をしているだけだなんて見ていられないから、早く楽にしてやって欲しい」と思う家族もいます。

はたして、どこからが「死期を引き延ばすことをやめる」ことなのでしょう?人工的に栄養や水分を入れることは、まだある「命」に必要なことです。けれどそれは、回復の見込みがあればの話ではないかと感じます。
回復の見込みがないのに、「命」を維持するために栄養や水分を入れることは「生命維持措置」であり、「死期を引き延ばすこと」ではないのでしょうか?

本人に意識があるならば、本人が意思を表示できますが、意識のない状態では一体どうしたいのか聞くこともできません。
「もう、余計なことしなくていいから、言った通り、さっさと逝かせてくれ」と思っているかもしれませんし、「やっぱり、今のままでも生きていたい」と思っているかもしれません。

今の父を見ていると、とても悲しく辛いです。
本人に意識がないのが不幸中の幸いですが、決して、今の父が幸せだとは言えません。

そんな私の気持ちを知るはずもなく、父は実家のソファで居眠りしている時と同じように、病院のベッドで眠っていました。軽くいびきをかきながら。

そして、いつも思うのは「どうか、楽しくて幸せな夢の中にいて欲しい」です。

近い将来、父の「リビング・ウィル」をどうするのか決断しなければならないでしょう。父本人の望みでも「命」の決断をするのはとても難しいです。さっさと旅立たせてあげたい気持ちと、父の命が消えてしまう悲しみとが混ざって、どうにもなりません。

けれど、はっきりとわかっているのは、両親の「リビング・ウィル」は、私と弟に負担をかけないよう、私たちの幸せを思ってのことです。私はそれに、両親の大きな愛情を感じずにはいられません。

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父のこと

Posted by Hana