新元号切り替えに浮かれる世間と醒めきった私の温度差

雑感

窓と女性

10連休に突入し、新元号切り替え前とあって、あちらこちらで「平成もあと○日」とか「平成最後の◯◯」と言う言葉が使われています。何だか、世間は新元号切り替わりに浮かれ気味ですが、正直、私は連休も新元号も「どうでもいい」と言う気分です。
何かと忙しく、連休をゆっくり過ごす時間も少ないので、平成があと何日あるかなんて数えている暇もありません。

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元号が変わっても何も変わらない、という思い

連休中は病院も休みになってしまうので、金曜日に時間をやりくりして薬を処方してもらいに行きました。その時も「平成最後の薬」なんて言われて、「あ、そうか」と思うくらい、私は新元号に無関心という有様。
周りの人が、どうしてそんなに新元号に浮かれているのか、私にはイマイチ理解できません。元号が変わったからと言って、自分の生活が急に豊かになるわけでもなく、なにか嬉しいことがあるわけでもありません。

カウントダウンだとか、令和の日の出を見に行く、なんて浮かれている人もいましたが、何がそんなに楽しいのか謎です。

今は、困った上司のおかげで、人も時間も足りないプロジェクトを進めていくことに必死です。きっと心に余裕がないこともあって、余計に「新元号?何がそんなに楽しいの?」と感じるのかも知れません。

周囲が盛り上がるほどに醒める私

子供の頃はともかく、社会人になったあたりから、私はイベント事には殆ど関心がなくなりました。年末年始に初日の出を見に行くとワクワクしている友人を見て「日付が変わるだけで、いつもと同じように日が昇るだけ」なんて思っていたので、私はかなり醒めていたのでしょう。

それは今も変わりません。年が変わっても、元号が変わっても、生活が楽になるわけじゃない、と思ってしまうのです。
「新しい時代になるから、気分も新たに頑張ろう」とは思いますが、どうにも浮かれた気分にはなれません。世間が盛り上がれば盛り上がるほど、私の気分は醒めて行きます。

昔から、書店で平積みにされたベストセラー本を買うことが「恥ずかしい」と思っていた私は、相当な天邪鬼です。多くの日本人は「みんなと同じ」ことや「流行に乗っかる」ことが安心で心地が良いのだと思いますが、私はそれを「みんなと同じなんて恥ずかしい」と感じます。
協調しなければならない時は、協調しますし、周囲から浮かないように行動しますが、プライベートな部分や生き方まで「みんなと同じ」ことを求められるのは、とても苦痛です。

こんなことを考えていると、「だから、私はシングルなんだろうなぁ🙄」と思ってしまいます。

件の困ったプロジェクトが止まっている連休の間に、他の溜まった仕事を片付る予定です。連休明け直前は、再開するプロジェクトのスケジュールを再チェックして備えなければなりません。とても、「令和」に浮かれる余裕はありません。

けれど、連休中は出来るだけリラックスして過ごし、再びくる嵐に立ち向かえるようにエネルギーをチャージしたいと思います。

明日から数日、父の様子を見に実家に行きます。なので、おそらく、これが「平成最後の投稿」です。(……と、ちょっと乗っかってみました😅)

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令和

Posted by Hana