親の死と向き合うこと 重苦しい時間と人生の意味

マイライフ

さくら

父が倒れ、実家に来て約1週間が経ちましたが、状況は殆ど変わらず、一体いつまで仕事を休めば良いのか、いつ自分のアパートに戻れるのか全く分かりません。進行中の仕事の対応だけは、何とか対応していますがそれ以外のことはほぼできません。
こんな緊急事態なのに、私はやっぱり来月の家賃と生活費の心配をしてします。

こんな時に、有給休暇が取れる会社で働いていたり、生活費を稼いでくれる夫がいたら随分と精神的な負担は違うのだろうな、と思ってしまったりします。

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ストレスの中で人生の意味を考える

父のこと、自分の生活こと、仕事のスケジュール、生活拠点ではない場所で過ごす事、色々なストレスで夜もなかなか眠れません。最初は、いつ急変してもおかしくないと言われていたのですが、今は、意識がないまま安定(?)しており、医師も「安定したら転院を」なんて言っています。

そうなったらそうなったで、いつまで仕事を休めばいいのか、それとも仕事に行くのか、悩ましいところです。仕事に戻ったところで、いつどんな事態が起こるかわからないので、自分が責任者になっている仕事はどうにかしておかなければなりません。
ストレスのせいか、自分の体調もおかしくて、薬を飲まないと動悸が止まりません。

正直、父のこと、生活のこと、仕事の事、いっぱいいっぱいでおかしくなりそうです。

そんななかで、昨夜から一晩、アパートに戻りました。やっと自分のベッドで眠り、自分の部屋で過ごし、ちょっとだけリラックスできているように思います。けれど、夕方には、また実家に行かなければなりません。

世の中の人たちは、こんな時をどうやって乗り切っているのだろう?と思います。

半年の間に、父と母の両方を喪おうとしている今、命や人生について考えさせられます。
自分の命もいつか必ず終わりが来ます。それは、それほど遠い未来ではなく、目を凝らせば見えるところにあるでしょう。

私は、夫も子供もいません。私がいなくなっても困る人はいません。子供がいれば、命を繋いでいくという人生においての意味がありますが、それも出来ない私の人生の意味は何なのだろう、と思います。

ただ、生きるために働き、死んでいく。
私は誰かの役に立っているのだろうか?意味のある人生を生きているのだろうか?と考えます。

人生という限りある時間

私は一度きりの人生を「謳歌している」と言えるほど、自分の望む人生を生きてはいません。人生で一番欲しかった「愛する人と人生を共にする」という願いも、諦めました。
結婚よりキャリアを選んだと言えるほどのキャリアも、稼ぎもありません。

どちらかと言われれば、私の今までの人生は、辛いことが多かったように感じます。
自分の人生が終わる時、果たして私は、悔いなく生きたと思えるのか、辛いことが多かったけれど幸せだったと思えるのか?そう思えるように生きているのか?と思います。

人生に与えられた時間には限りがあります。
両親は「だから、どんな人生も一生懸命生きるんだよ」と言っているように感じます。
私には私にしか生きられない人生があります。父と母にしか生きられない人生があったように。

どんな時も人には親切でありたい、笑顔で生きていたい。
辛い時間を過ごしている人がいたら、そっと寄り添えるような人になりたい。

そして、もうちょっとお金を稼ぎたい。
自分の生活に余裕ができたら、困っている人を助ける事もしたい。

そんなことを考えながら、ふと「人生のやりたいことリスト」を作ろうかな、と思いました。きっと、そうすることで、自分がどんな人生を生きたいのかが分かってくるはずです。

自分自身の人生をどう生きるか

もう、ただ何となく人生を生きている年齢ではありません。
手に入れられなかった(パートナーと生きる)人生を嘆いていても仕方ありません。

私がかじった人生という名の果実は、苦い実でした。それをただ苦いだけで終わらせるか、苦くてもコーヒーのように香り高い人生にするかは、私次第ではないのか?と思います。

昏睡状態の父が、私に最後に言おうとしているのは、そんな事なのかも知れません。

このまま衰弱していくしかない父を見ているのは辛いです。こんな辛い時間にも意味があるのだと思いますが、今はただ、長く苦しい思いをせずに心穏やかに父が旅立てることを願うだけです。

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人生, 父のこと

Posted by Hana