「誰もが楽しみな東京オリンピック」「誰も」って誰?

雑感

今年はオリンピックイヤーですが、オリンピックに興味のない私は、「誰もが楽しみなオリンピック」と言う感じで放送されているコマーシャルやニュースに違和感すら感じてしまいます。

私は「誰もが」と言う言葉から始まるキャッチコピーやニュースが好きではありません。先日も「誰もが興奮したラグビーワールドカップ」と言う言葉を聞いて「一体何をもって”誰もが”なんて言っているのか?」と思ってしまいました。「多くの人が」ならば分かりますが、「誰もが」って何?と。

まるで「楽しむべき」と押し付けられているように感じます。

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多くの人が好きなものは「誰もが好き」なのか

イベント好きの知人は、サッカーやラグビーなどのワールドカップをはじめ、何か大きなイベントのたびに大騒ぎして、私が興味がないという素振りをすると「醒めている」「みんな盛り上がってるのに協調性がない」なんて言いました。

盛り上がっている人たちに対して、私は何か否定的な事を言ったわけではありません。観戦に行こうと誘われたので「ごめん、私、スポーツはあまり興味ないから」と断っただけです。

そうしたら、なんで興味ないの?信じられない!みんな盛り上がっているのに!と。

心の中で「みんなって、誰よ?」と思ってしまいました🙄

ここは、「ごめーん、行きたいけど都合がつかないの。あぁ、残念!」なんて大袈裟に断れば良かったのかもしれません。

けれど、そう断ってまた誘われても面倒です。それに、なぜ興味のないことに興味のあるフリをしないといけないかと思います。誰にも好みがありますし、好きなものも違います。

興味のある者同士で集まって楽しんでいるのだから、私のことは放っておいてくれ、と思います。

そのくせ、彼らは私がクラシックを聴きに行くと言うと「そんな眠たくなるのが好きなんだ」と、今風に言うとディスります😑
たしかに「誰もが大好き」というカテゴリーではありませんが、ディスられる筋合いはありません。

興味のないものは興味がない

オリンピックのチケット応募の頃、当たり前のように「何に申し込んだ?」と聞かれて、心の中で「うひぃ😱」と思いました。
彼らは、オリンピックが楽しみで、チケットを求めるのが当たり前なのだと思いますが、他人も同じだとは限りません。

私の周りには「オリンピック?興味ないわ」という人は少なくありません。

もう生きている間に日本でオリンピックはないよ?と言われても、興味のないものは興味がありません。

かつて住んでいた某地方都市に行った時に、それまで英語でアナウンスなど入っていなかった地下鉄で、ネイティブスピーカーが吹き込んだであろう英語のアナウンスが流れ、JRでは車掌さんが、気の毒になる程のカタカナ英語で車内アナウンスをしていました。(車掌さん、大変だなぁ……)

その事を現地の知人に言うと、「オリンピックだからじゃない?」と。
東京から離れた、競技の開催場所でもない所までオリンピック仕様か、と思いました。

観光客狙いだと思いますが、知人曰く「そんな観光スポットないわー」

私は、聖火リレーにも興味ありませんし、どこを誰が走るのかにも興味がありません。

オリンピック?夏だよね。いつから始まるの?

と言うくらい「どうでもいい」感じです😅
(盛り上がったのは五輪マークパクリ事件の時くらい……)

オリンピックを楽しみにしている人は、大いに盛り上がって楽しめば良いと思います。せっかくのオリンピックなのですから。

けれど、興味のない人に対してまで「盛り上がる事」を求めないでほしいと思います。

ついでに、当たり前のように「野球はどこのファン?」と聞くのもやめて欲しいです。興味がないと言った途端に「えぇっ!普通は野球見るでしょ?!」というあのリアクションが嫌です。普通って誰の普通よ?と突っ込みたくなります。

多様性の時代と言いながら、ちっとも多様じゃない、そう思います。

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Posted by Hana