後悔や悲しみ どうやって喪失感と向き合えばいいのか

マイライフ

白い花

やっと自分の住処で、日常生活がすこし戻ってきました。まだたくさんの書類仕事が残っていますが、少しだけ心が落ち着いた気がします。慣れ親しんだものがない実家では、やっぱりストレスが強かったように感じます。

母の小さな方の遺影を持ち帰ろうかと思いましたが、49日が終わるまでは実家に置いておくことにして、旅行の時に撮った写真の前に小さな花束を飾っています。今のところ、遺影を置いておくのも悲しいです。

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後悔と悲しみの気持ち

私は一人暮らしが長く、母とも離れて暮らす時間が長かったせいか、一人のアパートに戻ると日常に戻ったように感じます。違うことは、実家に行っても母に会えないことと、電話で話したりメールできないことです。

用事がなければ電話をしなかった私は、なぜもっと電話しなかったんだろう?という後悔があります。お盆に帰省して、そのあとにちょこちょこっとメールをしたのが最後でした。

なんの心の準備をすることもできないまま、突然旅立った母は、母らしいといえば母らしいです。いつも、その日に思い立って日帰り旅行に行ったりしていました。

心臓が悪かった母は「最後は入院かなぁ。嫌だなぁ。倒れてそれっきりがいいな」と言っていました。それを思えば、母にとって望み通りの最後です。遺された私たちは、悲しみや喪失感と向き合って、それを乗り越えて行くしかありません。

喪失感を癒すのは時間だけ

かつて、離婚で「喪失体験」をした私は、それがどんな風にやってくるのか予測することができます。もともと一人暮らしの私の場合は、環境が大きく変化するわけではありません。実家の父や弟をサポートする方法を考えたりその時間を捻出しなければならないプレッシャーやストレスはありますが、母のいなくなった家で暮らす父や弟よりも、私の方がずっと精神的には楽でしょう。

祖父や祖母が亡くなった時、父は一人ではありませんでしたが、今回は弟が仕事に出かければ一人で過ごさなければなりません。弟も忙しい仕事をこなしながら、父の生活のサポートをしなければなりません。

いつもそこにいた人が、突然いなくなってしまう。それはとても辛いことです。
それを思うと、私は二人の精神的な面が心配でなりません。

けれど、私が気に病んでもどうにかなるものではありません。私が自分の喪失感や悲しみと向き合うように、彼らも自分の喪失感や悲しみと向き合って行くしかないでしょう。

喪失に対する反応は「否定、怒り、取引、抑うつ、受容」の5段階あり、そこを行ったり来たりしながら、心は癒されていきます。けれど、結局のところ、喪失感を癒してくれるのは「時間」しかありません。

そんな中で、噴き出してくる悲しみを我慢せずに、悲嘆にくれることができる時間を5分でもいいから作る、それが悲しみを癒して行く大事なプロセスだと私は思います。我慢すれば我慢するほど辛くなります。

シャワーの中でもトイレの中でも、心を解放し悲しむことができる時間を作る、それがとても大切です。

私は、後悔や感謝や色々な感情が混ざって、涙が出てきます。一人暮らしなので悲しくなったら泣く、怒りたくなったら怒る、とそんなことを繰り返しています。(辛い離婚をした時も同じような感じでした)

本:ライフ・レッスン

私には前回の喪失感を癒して行くのに、助けられた本があります。喪失の5段階モデルを作った精神科医であるエリザベス・キューブラー・ロス氏の「ライフ・レッスン」という本です。

生きていくために大切なことがたくさん書かれています。今回のような喪失感を感じている時だけでなく、時々読みたくなる本で、何度も読み返していたりします。今も、「喪失のレッスン」の項目を読み返しています。

人生には終わりがあり、別れも必ずやってきます。けれど、遺された者がそれを乗り越えて行くのは、そうそう簡単なことではない、そう思います。

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母のこと

Posted by Hana