悲しみと向き合う勇気

マイライフ

ベンチ

日曜まで実家にいる予定なのですが、土曜日と日曜日は少し暇になりました。役所の書類が出来ないので、銀行の手続きが進められないからです。今日も、やや時間があったのですが父の話し相手をしたり、掃除をしたり……。

父と弟、私の3人しかいない家の中は、特に悲しみに沈んだ雰囲気ではなく、思い出話をして笑ったり明るいのですが、それが私には心配であったりもします。

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悲しみとストレスと

衣服やその他、限られたもので過ごす実家での生活は、ある意味、私にはとてもストレスでもあります。パソコンだけはあるので、記事を書いたり仕事をしたり、ほんの少し「日常」に戻れる時間は貴重です。

母がいなくなった悲しみからなのか、ストレスからなのか、気分はとても重いです。忙しくしていた方が気分は楽ですが、そうやって自分の感情を閉じ込めるのは、良くないでしょう。

苦しい離婚を経験して、結構な「うつ」になった私には、きちんと自分の感情と向き合う時間を作った方が良いとわかっていますが、実家にいる今は、そんなふうに泣いている暇はありませんし、そうも出来ません。

悲しみの波は突然やって来る

おそらく、悲しみの波は、色々な手続きが終わって、ちょっと気が抜けた頃に、突然やってくるでしょう。自分のアパートに戻ったら、かかりつけの心療内科に相談に行っておいた方がベターかも、なんて思っています。(どちらにせよ、体の調子、良くないし……)

喪失の心のプロセスを知っている私は、自分の心の状態がこれからどうなって行くのか予測する事ができますが、予測できないであろう父や弟の心のケアの方が心配になってしまったりしています。

この世で、自分を一番愛してくれた人がいなくなった事は、あの苦しかった離婚以上に悲しい出来事です。以前は、それを考えただけで、とても悲しく苦しい気持ちになっていました。ところが、実際にそれが起こった今、ストレスを感じて位入るものの、私の心は驚くくらいフラットに近いのです。

母のいなくなった家で、行政手続きに必要なものを探したり、食事をしたりしていても、数日もしたら「ただいま」と旅行から帰って来るような、そんな気持ちです。

母が旅立ったのは、永遠のお花畑で、もう帰ってこないのに。

家族をつなげていった母

どちらかというと、母と私以外は、あまり会話がなかった家族でした。特に弟とはもう20年くらい会話がありませんでした。
母がいなくなった今、父と弟、私で食卓を囲み、ビールを飲みながら色々な話をしているのは、とても不思議なものですが、お花畑の母は、きっと安心してそんな風景を見ているのかもしれません。

ちゃんと弟と協力してやっているよ!と遺影に向かって言ってみたりして。

今は一人ではないので良いですが、自分のアパートに戻って一人になったら、辛くなるのかな?
自分のベッドで眠り、自分のものに囲まれて生活するのは心落ち着くことですが、一人で母がいなくなったことを考えるのは、とても苦しいことかもしれません。

実家で過ごすのもストレスで早く自分のアパートに戻りたい、けれど一人きりになって母がいなくなった事実と向き合うのも怖い、なんて考えはとても矛盾しています。

四十九日が終わるまでは、まだまだ忙しいでしょう。これからは、度々、実家を訪ねなければなりません。それを考えると、仕事の調整も難しく、今は、悲しみよりもストレスを強く感じます。

以前、妻を亡くした有名人がせっせとブログを更新しているのを見た時に「こんな時によく更新できるなぁ」とややネガティブに捉えましたが、今は、彼の気持ちが分かるような気がします。

おおっぴらに悲しみにくれることもできず、しっかりと立っていないといけない時、文字にする事は「逃げ場」であったりします。
彼もそうだったのかどうかは分かりませんが、何事も経験しなければわからないのだな、と改めて思いました。

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母のこと

Posted by Hana