Varia Vita Est 人生いろいろ それでも私は諦めない
“Varia Vita Est" はラテン語で「人生いろいろ」と言う意味です。
私は50代目前、バツ付きシングル、非正規雇用、低収入、資産ほとんどなし……。今までの人生をいい加減に生きてきたわけでも、怠けていたわけでもありません。
ただ、ある時、色々な出来事が重なって今の状況がある感じです。
Varia Vita Est 人生いろいろ
人から見れば、今の私は孤独で希望もない人生かも知れません。実際に、私にそう言った知人もいました。
けれど、私は人生を諦めたくないし、孤独だろうが貧乏だろうが充実した楽しい人生を生きたいと思っています。
……とは言え、世間も行政も中高年のシングルには冷たいですし、不公平だと感じることも多々あります。
私の周りは既婚者がほとんどで、そんな気持ちを共有できる人もいません。
何か愚痴でも漏らそうものなら、「ひとりで好き勝手に生きてきたんだから」とか「何の責任もなくて楽でいいね」と言われるのが関の山です。
「普通の人生」ってなに?
『結婚して子供がいる』、それが「普通の生き方」で、それから外れてしまった人は「問題のある人」とされてしまいます。日本は、『みんなと同じ』が最良で『まっとう』だと評価される国だと思います。
ライフスタイルや、セクシャリティ、人種や言語……、色々な事が『多くの日本人が思う普通』から外れてしまうと(それが本人の意思でもそうでなくても)、とても生きづらい国だと思います。
個性や多様性を大切に、なんて言いながら、実際はそうでないと感じます。
……まあ、こんな事を書いていると一部の『標準的な女性の人生』を送る方々から、「負け犬が負け惜しみを言っている」と言われてしまうだけですが。
一体、何をもって人生の「勝ち」や「負け」を決めるのかと思います。他人を基準に、他人と比べて幸せかどうかを判断することはとてもナンセンスだと思うのですが、私を含めどうしても他人と比べて一喜一憂してしまいます。
正直、夫や子供がいる人が羨ましいですし、素晴らしい仕事をしてキャリアを持っている人が羨ましいです。お金を持っている人も羨ましいし、とにかく自分が持っていないものを持っている人が羨ましいです。
そして、それを持っていない自分は「不幸」だと思ってしまいます。
けれど、そんな事を感じていてもきりがありません。
私のこの先の人生を考えると、パートナーを見つける事は宝くじに当たるようなものですし、もう子供を持つ事も出来ません。往生際悪く「婚活」をした結果、無い物ねだりをしていても人生虚しくなるだけだとも気付きました。
他人の人生と比べた所で、この日本に限って言えば、私より豊かで愛情のある生活している人の方がはるかに多いようにも感じます。だから、他人と比べるよりも、自分の中で幸せを見つけていきたいと思いました。
今あるものに目を向けて、出来る事をする、それが大切だと思います。
孤独でも、貧乏でも、楽しく生きていきたい。そんな中で、日々思うことを前向きに、時には真面目に、ちょっとアグレッシブに、そして面白く書いていきたいと思っています。
そして、同じような状況を生きている人と、何かを共有できたらいいな、と思います。