仏教式なのに賛美歌?何でもありな日本人の宗教観

雑感

小さな人形

宗教には無関心というか、何でもありな感じの日本ですが、ある有名人の「お別れ会」で”Amazing Grace”が歌われているのを見て、私は軽く違和感を感じてしまいました。
あくまで「お別れ会」で宗教的な儀式ではないと言われればそうなのかもしれませんが、明らかに仏教式の祭壇に戒名。どう見たって日本では一般的な仏教式の告別式スタイルです。
故人がクリスチャンだったり、キリスト教式の「お別れ会」なら”Amazing grace”を歌っても違和感はありませんが、仏教式では「うーん」という感じです。🙄

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「宗教」は「習慣」

多くの日本人は基本的に無宗教で、子供が生まれたらお宮参り、結婚式はキリスト教式、葬儀は仏教式。仏教の花祭りはマイナーだけど、クリスマスはビッグイベント。クリスマスの数日後は神社に初詣。

日本人にとって宗教は、信仰というよりも習慣に近いものなのかも知れないなぁ、と思います。

だから、仏教式の中にキリスト教の「賛美歌」が歌われても違和感を感じる人はほとんどいないのかもしれません。違和感どころか感動しちゃったりするのかもしれません。

そもそも、歌詞の意味を知っているかどうかも謎です😅

“Amazing grace”は「すばらしき恩寵」という意味で、イギリス人の牧師、ジョン・ニュートンが作詞した歌です。元奴隷商人だった彼が、それに関わったことに対する悔恨と、そんな自分に赦しを与えた神の愛に対する感謝を歌った歌です。
その曲が作られた経緯から、色々な意見もありますが、この曲の意図する内容は「神の恵みを讃える」です。

アメリカの葬儀ではよく歌われる歌で、レーガン元大統領の葬儀でも歌われました。
日本でもキリスト教徒(プロテスタントでもカトリックでも)の葬儀や追悼で歌われます。

それが、どこからどう見ても仏教の「お別れ会」で歌われるのは、ものすごく変です。だって、仏教式なのに「神の恵みを讃える歌」を歌っているのです。お釈迦様はどこいった?と思ってしまいます。

“Amazing grace”はキリスト教の賛美歌

こちらが、一般的に歌われている”Amazing grace”の英語の歌詞です。

Amazing grace! how sweet the sound.
That saved a wretch like me!
I once was lost but now I am found
Was blind, but now I see.

‘Twas grace that taught my heart to fear.
And grace my fears relieved;
How precious did that grace appear,
The hour I first believed.

Through many dangers, toils and snares.
I have already come;
‘Tis grace has brought me safe thus far,
And grace will lead me home.

When we’ve been there ten thousand years,
Bright shining as the sun,
We’ve no less days to sing God’s praise
Than when we’ve first begun.

日本語に訳するとこんな感じです。

アメイジング・グレース、なんと甘美な響きだろう
私のように愚かな者を救って下さった
自分を見失っていた頃もあったけれど、今は大丈夫
見えなくなっていたことも、今は見える

心が恐怖に支配されている時、私は神の恵みを知った
神の恵みが私を恐怖から救い出してくれた
神の恵みを知った瞬間がどれほど素晴らしかったか
初めて信じたあの瞬間

多くの危機、苦しみと誘惑を
私たちはいつも乗り越えてきた
神の恵みが私たちを守り導いてくれた
だから、これからも神の恵みが私たちを導くことだろう

私たちは何万年経っても、
太陽のように輝きながら
神を褒め称える歌を歌うでしょう
初めて歌った時と同じように

私は、とても熱心とは言えないグータラなクリスチャンですが、やっぱり仏教式で歌うには違和感がぬぐえません。
なんだか節操がない、と思ってしまうのですが、多くの日本人にとっては気になるようなことではないのでしょう。美しい歌で故人を送ることがいけないの?と言われてしまいそうです。

宗教におおらか、でも信仰を持つ人には偏見

日本は宗教の自由が認められていて、宗教に対してはおらかな日本人。色々な宗教のイベントを楽しむことも得意です。それはそれで、平和で良いことだと思います。

けれど、私のようにクリスチャンだったり、特定の信仰を持っていると、軽く差別されたり、「迷惑な新興宗教」や「カルト」と十把一絡げにされたり、「宗教やっている病んでる人」と思われるのはなぜでしょう?

日本では、「習慣としての宗教」は問題ないけれど、「信仰としての宗教」は拒絶反応を示されることが多いように感じます。それは、かつてしていた「婚活」でも感じました。キリスト教徒だと言うだけで「引かれた」のです。

私は、宗教行事をイベントとして楽しむことや、宗教関係なく色々ミックス状態の結婚式や葬儀も良いと思います。けれど、自分たちが楽しんだり取り入れたりしている「宗教」に対して、少しは敬意を持って欲しいと思います。

キリスト教式で結婚式をした知人が、クリスチャンの私に対して「クリスチャンって偽善者っぽいし、病んでる」と言った時は、とても嫌な気持ちになりました。
彼女にとってキリスト教式の結婚式は「ロマンチック」なアクセサリーみたいなものだったのでしょう。

宗教におおらかなのは平和で良いことですが、宗教を都合よくアクセサリーや泣けるアイテムのように使われるのは、ちょっと悲しく感じてしまいます。

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Posted by Hana