経済格差と子供たちの夢

雑感

ネットニュースを読んでいたら、ちょっと気になる言葉を見つけました。「理想の貧困」という言葉です。そのタイトルを見た時、「貧困に理想なんてないのに、変なタイトルだなぁ」と思いながら、記事を読んでみると、「子供の貧困」についての記事でした。

私は見ていませんが、以前、NHKで「子供の貧困」について放送された時に、スマホを持っている子供やアニメグッズのある部屋に対して、「スマホを持っていて、どこが貧困なんだ」などと言う批判が多くあったとあります。

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理想の「貧困」のイメージ

世間には「貧困とはこんなものだ」と言う理想の姿(ぱっと見て貧困だと分かる、など)があって、それに当てはまらない場合は周りも当事者も貧困だとは感じないのだそうです。
興味深く、色々と考えさせられる記事です。

「スマホを持っているから生活に困っていない」「趣味のグッズを持っているから生活に困っていない」、そう判断するのはあまりに短絡的だと、私も思います。

私は、仕事でティーンエイジャーの子供たちと関わることがありますが、色々な意味で家庭に問題を持っている子供たちが多いです。(私の仕事先がそういった機関だからかも知れませんが)
彼らもスマホを持ち、好きなアニメのキャラクターグッズを持っていたりします。けれど、経済的な理由で進学するという選択肢がない子供や、資格試験の受験料が支払えないと言う子供たちがいます。

「子供の貧困」は可能性を潰してしまう

彼らは、決して能力がないわけではありません。
「お金がないから、勉強しても無駄」
そんな思いが、子供たちのやる気をそいで、可能性を潰してしまうのです。
目標や夢を持てず、学校へ行かなくなったり、悪いことに手を出してしまったりする子供も、残念ながらいます。

家の経済状況に関わらず、学費の心配をせずに勉強ができる環境が出来れば、もっと子供たちが夢を持てるのではないかと、いつも思います。

裕福なクラスメイトと裕福でない私の進学ストーリー

私の家も、裕福ではありませんでした。生活に困るほどではないものの、経済的な余裕がないという理由で、志望する大学には行くことが出来ませんでした。
もともと、「高校を卒業したら就職」と親には言われていました。けれど、私はどうしても美大に行きたくて、奨学金とアルバイトで進学する算段をし、受験を決めました。
塾に行く余裕などありませんでしたので、学科も実技も自分で勉強し、練習するしかありません。

高校2年生も終わる頃、放課後の美術室で、デッサンの練習をしている私を見たクラスメイトが、
「Hanaちゃん、美大受けるんだ。私も受けようかなぁ〜」
と言いました。

私は、1年生の夏頃から受験勉強を始め、実技の練習もしていたので、びっくりしました。
正直、その時の彼女のデッサンは、美大志望者のレベルとは言えませんでした。

けれど、彼女の家はお金持ちでした。
受講料が何十万もかかる、美大受験専用の塾に通い、放課後も夏休みも、ずっとそこに通っていました。そして、彼女の家は私立大学に行ける経済力がありました。

私は国公立に合格できなければ、私立の短大です。もちろん、通学可能な範囲、浪人することも出来ません。けれど、国公立の芸術大学に現役合格出来る確率はゼロに近いものでした。

頑張りましたが、私は私立の短大に進学することになりました。

ごめんね、と母の涙

当時は、国公立も私立も、大学の合格者の名前が新聞に載りました。ある朝、母親が私の部屋に来て、「○○ちゃん××美大に受かったんだね」と言うと、涙を流しながら、「ごめんね、行かせてあげられなくて」と言うのです。

クラスメイトが合格したのは、私が最初に行きたいと言っていた私立大学だったからです。

私は、自分が努力して出た結果なので満足していましたが、母は、とても悔しかったのだと思います。「お金がないから、私立の美大に行かせてあげられない」と。
それでも、母は一生懸命働いて、私が毎日アルバイトしなくても済むだけのお金を工面してくれました。今もそのことに、とても感謝しています。

私は、高校から大学時代、無駄に前向きだったので、目標や夢を諦めずに頑張れたのだと思います。
けれど、今の子供達が皆そうではありませんし、家庭の状況も、もっと深刻です。
家族のために、自分の夢を諦めて就職を選ぶ子供たちもいますし、高校に在学中からアルバイトをして家計を助けている子供達もいます。

私は、自分の生活や老後も心配で不安ですが、経済的に苦しい状況の子供たちの未来も、同じように心配です。若い彼らが、家庭の経済状況に左右されず、夢や目標を持てる世の中になって欲しい、そう思います。

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貧乏

Posted by Hana