親の死と向き合うこと 先の見えない不安と苦しみ

マイライフ

ブランコ

今日は、父の状況を聞きに病院に行ってきました。またしても仕事を休まなければなりませんでしたが、仕方ありません。
最初は1週間持てば……という状態だったのですが、今は出血も止まり小康状態のようです。
いつ急変するかわからないと言うリスクは依然としてありますが、どうやら長期戦になるようです。転院先に空きが出たら転院の手続きとなるそう。

正直なところ、私も弟もこの先どうなるのか、どうすれば良いのか困り果てています。

スポンサーリンク

明日か明後日か、それとも1年後か

父が今の状態のままで何年も続くならば、私たちも覚悟をしなければなりませんし、医療費の算段も必要です。
この緊張状態が何年も続くなど、考えただけで重苦しい気分になります。
世の中には、こんな状態で何年も過ごしている人々がいるのだと思うと、もう言葉がありません。実家で介護をしている人たちはもっと大変でしょう。経済的にも精神的にも、大変な負担です。

私の父の場合は入院という状態で、在宅療養や介護経験のある知人には「大変だと思うけど、病院に置いてもらえるからそこだけは助かるね。心配だと思うけど無理しないようにね」と言われました。
確かに、意識が回復して後遺症で介護が必要な状態になってしまっていたら、もっともっと困り果てていたかもしれません。私は仕事を辞めて実家に帰らざるを得ない状況になったかもしれません。それは私が一番恐れていた「自分の人生が完全に詰んだ」状況です。

今の状況は、父が望んではいなかった状態です。母と同じように、倒れてそのままさっと旅立ちたかったはずです。
けれど、そうは行かず、父は「こんなはずじゃなかった!」と思っているでしょう。それでも、自分で身の回りのできない状態で介護されて生きるのは嫌だと言っていた父にとっては、意識のない今の状態の方が「不幸中の幸い」なのかも知れません。

果たして、父が今の状況を理解しているのかどうか分かりません。自発呼吸できているだけの状況で、何らかの意思表示をすることができないので、実際はどうなのかは父本人にしか分かりません。

私は、どうか良い夢を見ていてほしいと思います。いつか、良い夢を見たまま、穏やかに旅立てることを願っています。

父が旅立つのは、明日かも知れないし、明後日かも知れません。1週間後かも知れませんし1ヶ月後かも知れません。もしかすると1年後、2年後かも知れません。
医師も「いつ急変するかわからないリスクはいつもあります」と言うだけで、具体的のどれくらいの命があるのかは言いません。

遺される側の生き方

そんな状況なので、私は弟に言いました。
「気がかりなのは変わらないけど、今まで通り、仕事して趣味も楽しんで過ごすしかないんじゃない」と。

父も、亡くなった母も「生きている人の生活の方が大事なんだからね」と言っていました。今のような緊張状態で、趣味も控えて、ストレスを溜め込んで生きていることを、亡くなった母も、意識のない父も望んではいないでしょう。

このままの緊張状態で過ごして、自分たちがペチャンコになったら意味がありません。適度に趣味を楽しんでストレスを発散しなければ、これから何年も続くかも知れない日々を乗り切ることはできません。

今の私は、仕事のストレスと生活費の不安、そして父のことで、精神的には結構追い詰められているところです。楽しかったことが楽しく感じられず、集中力も判断力も落ちています。今週中にかかりつけの心療内科に行っておこう、と思っています。

どんな時も、人が生きていくには、小さな楽しみや希望が必要です。

自分を抱きしめてくれる誰かがそばにいてくれるなら、それが一番だと思いますが、私は一人で持ちこたえなければなりません。
だからこそ、小さな楽しみで自分自身を癒しながら乗り越えてゆければと思います。

この辛く苦しい状況から、私は人生の何を学ばなければいけないのか、父が最後に何を教えようとしているのか、そしてこの先の人生をどう生きればよいのか。そんな事を考えることで、私は少しだけ前を向いて立っていられる気がします。

スポンサーリンク

父のこと

Posted by Hana