人生と悲しみの数

マイライフ

海辺の小道

母が旅立ってから思うことは、人生は長く生きるほど喪失と悲しみを経験するのだ、と言うことです。別れは愛した人の数と比例するかもしれません。
今の私は、「また誰かを失う経験をしなければならないなら、もう誰かを愛さなくてもいい」とすら思います。父や弟、親しくしている人たち。いつか彼らとの別れもやってきます。
自分が先か相手が先かと言うことは別として、あと何度、別れを経験しなくてはならないでしょう?それは、大切に思う人が多ければ多いほど、多くの別れを経験しなくてはならないと言うことになります。

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静かな悲しみの中で

大好きだった母との別れは、離婚とは違った喪失の苦しみがあります。体が引き裂かれるような離婚の苦しみに対して、母との別れは静かでもっと深いものです。

離婚の苦しみが荒れ狂う海だとすると、母との別れはゆっくりと押し寄せる波のようです。

離婚した元夫との思い出は、乱暴に投げ捨てましたが、母との思い出は大切に箱にしまっておきたい、そう思います。

私はもう、誰かと一緒に生きることを上手く想像できません。一緒に人生を過ごす相手がいれば、それは幸せなことでしょう。けれど、私はいつかやってくる「死」という別れに耐えられる自信がありません。
私は二度の離婚をし、母を亡くし、いつか父との別れもやってきます。弟が先か私が先かはわかりませんが、その前に、親しくしている人たちとの別れが多くやってきます。

そこに加えて、今更、誰かを愛してその人を失うなど、考えられません。

悲しみの数と人生

愛した人や大切に思う人が多ければ多いほど、多くの別れがやってくるのが人生なのかもしれません。多くの愛があった人生は幸せですが、別れの苦しみも多いということになります。

誰かを愛したり、大切に思う人がいなければ、喪失の悲しみや苦しみを味わうこともありません。

果たして、どちらの人生が幸せなのか?
一人で誰とも関わらずに生きれば、喪失の悲しみや苦しみから逃れられますが、それはとても孤独な人生です。

そう考えると、たとえ悲しみが多くても人生の中で多くの人を愛し、多くの人を大切に思う方が、豊かな人生と言えるのではないかと思います。

悲しみと癒しと思い出

悲しみと向き合うのはとても難しく、勇気が必要です。悲しみは心を傷つけ、時には孤独を感じます。それと同時に、悲しむことは自分自身を癒やすプロセスの一つにもなります。
私は、悲しむ心を開いて、それを言葉にしてノートに書いて行きます。二度目の離婚をした時と同じやり方ですが、その時と違うのは「静かな悲しみ」だと言うことです。

離婚した元夫に対して、特別な気持ちはもうありません。あんなに辛かったのに、今では自虐ネタに出来るほどになりました。けれど、未だにインドネシア(元夫の女友達の国)と聞くと嫌悪感を感じたり、「元夫が不幸だったらいい」と思うのは、きっと完全に傷が癒えていないからかもしれません。

それでも、もう元夫を思って悲嘆にくれることも、苦しくなることもありません。

けれど、母を亡くした悲しみは一生消えないでしょう。それは、この世で一番私を愛してくれた母との思い出が、幸せや優しさに包まれたものだからかもしれません。

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母のこと

Posted by Hana