夢を叶えたのに「私は家族のために夢を犠牲にした」と言うのはなぜ?

シングルのユウウツ

「私は、ずっと子供と家族優先で自分の夢は後回しにきてきた」とか「家族と子供達のために私は自分の夢を犠牲にした」と言う言葉を、聞くことがあります。子供が独立し、趣味や新しいことに挑戦を始めた女性の口からよく聞く言葉です。
子育てや家族のサポートは大変だったと思いますが、私はそれらの言葉が引っかかることがあります。「結婚して家族を持つのが夢。あたたかい家庭を作りたい」と言っていた女性は多いはずです。結婚することを望み、選択し、「夢」を叶えたはずなのに、なぜそれが「家族の犠牲になった」と、「被害者」になってしまうのでしょう?
思い描いていた結婚生活と違ったから、苦労したから、子育てが大変だったから……、色々な理由があるでしょうが、夢を叶えていくのは楽なことではないと思います。

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「夢」が「犠牲」に変わるとき

彼女たちが「シングルのあなたと違って、私は家族のために自分を犠牲にしてきた」と言うことがあります。私はその度「結婚して家族を持つのが夢って言ってたの誰だっけ?」と言いたくなるのを我慢しなければなりません。彼女は夢を叶えているのに、その事実はどこかに行ってしまい「犠牲になった」と思っているのは、私には「おかしなこと」です。
夢を叶えるには、努力も我慢も必要です。「子育て」や「家事」「仕事」は、彼女たちの夢を叶えていくプロセス(努力)なのではないでしょうか。その努力を、彼女たちは犠牲と感じているのかもしれません。けれど、子供の卒業式や成人式、結婚する時、孫が生まれた時など、「大変だった努力」が報われ、とても嬉しいのではないでしょうか?

私には、子育ての大変さを、想像することしかできません。仕事で接するティーンエイジャーの子供達の様子を見ていると、それは、ものすごく大変なことだと思います。夫や子供達のスケジュールに合わせて、朝早く起きてお弁当や朝食を用意するのも大変でしょう。私も結婚していたことはあるので「家族のスケジュール優先」で生活しなければいけないストレスは理解できます。

結婚していても、シングルで生きていても、それぞれ大変なことはありますし、悩みはあります。けれど、既婚の彼女たちは「シングルのあなたと違って私は自分を犠牲にした」と言います。「隣の芝は青く見える」のかもしれませんが、シングルで生きることは、彼女たちが思っているほど楽しいことばかりではありませんし、脳天気でもありません。シングルにも「大きな代償」はあります。

シングルは孤独との戦い

そして、シングルは「夢を追いかけて自由に(好き勝手に)生きてきた」などと言われますが、全てのシングルがそうではありません。むしろ、夢を叶えられたり、夢を追いかけられるのは少数ではないでしょうか?私などは正直、日々の生活に精一杯で「夢」や「趣味」どころではありません。
シングルにはシングルの辛さや犠牲があります。そして、自由の代償は孤独です。自ら望んだシングルライフでなければ、報われることのない「孤独との戦い」は「犠牲」を通り越して「終わりのない罰ゲーム」です。

私には、老後に夫と旅行をする夢も、子供や孫と過ごす老後もありません。ただ、孤独が続きその先にはきっと孤独死が待っています。今の私が老後に対して思うことは「できるだけ人様に迷惑をかけないように最後を迎えたい」「死ぬ前日まで元気に働く」と言うことくらいです。

「気楽で自由なシングル」になりたい

仕事仲間との飲み会の後、私以外の皆が「今から帰るね」と電話する時の気持ちが、彼女たちにわかるでしょうか?職場で、私以外の皆が子供の話をしているのを聞く時の気持ちが、想像できるでしょうか?

きっと、「独身は気楽でいいな、って思ってるでしょ?」と言うでしょう。

「出口のない孤独感」というと大げさかもしれませんが、「孤独な我が身が悲しい」と言う気持ちになります。出来ることなら、人生をシェアするパートナーが欲しい。けれど、それはもう叶いそうにない。諦めて、「孤独と仲良く」するしかありません。

あと何年かしたら、もうちょっと気楽に生きられる日が来るかもしれない、なんて期待しながら、今日の1日を頑張って生きようと思います。

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シングル

Posted by Hana