女友達のユウウツ 十数年たって見下されていたことに気づく

マイライフ


お正月の街の中には、着物姿の人もいて「華やかでいいなぁ」と思います。着物姿の人を見るたび、私も着物を着たいと思いますが、なかなか着ることはできません。
何十年も前の着物を持っているのは持っているのですが、タンスの中で眠ったままです。引越しのたびに「きっともう着る機会もないから処分しようか」と思いつつ、親しくしていた方の形見分けにいただいたものや、母に買ってもらった着物などは、やっぱり処分することができません。

スポンサーリンク

着物をめぐる元親友の言葉

30代の頃、私は着付けを習っていて、師範になる一歩手前まで続けたのですが、長く着物を着ないでいたら、「あれ?帯、どうやるんだっけ?」となる有様。もう自分で、きっちり着物を着ることができなくなっていました。きっと、何度か練習すれば着ることはできると思いますが、そんな時間もありませんし、着て行く場所もありません。
私が着付けを習っていた頃、中学時代からの「親友」も違う着付け学校に通っていました。お互いに着付けを習っていることから、着物を着てお茶を飲みに行ったり、「着物で外出」を楽しんでしました。

私は、彼女のことをずっと親友だと思っていました。けれど、ある日、彼女の一言が私の中に疑問を芽生えさせました。
私は一度目の離婚をした後で、ごく普通に働き、コツコツ貯めたお金で憧れだった大島紬の着物を買いました。軽自動車が買えるような値段でしたが、当時の私は「一生もの」と購入をしました。今も、その着物は大切に持っています。

大島が届いた後に、親友とお茶を飲みながらそのことを話すと彼女は、「大島、私も持っているよ。いいよね〜。Hanaのは何マルキ?」と聞きました。
「7マルキだけど、柄が好みですごく気に入ってる」と私が答えると、彼女は「ごめん、悪いけど、一緒に大島を着てお出かけはできない」と言いました。

いつも値踏みしていた彼女

「マルキ」は簡単に言うと目の細かさのことで、これが細かいほど上等なものだとされています。5、7、9マルキのものが主に市場に出回っているもので、12マルキの高級品もあります。私が購入したものは7マルキですが、とても気に入って買ったものです。

私が、親友がなぜ「大島を着て一緒にお出掛け出来ない」と言うのか理解できずにいたら、「私のは12マルキで、Hanaと並んだら、すぐにHanaのが見劣っちゃうもの。だから申し訳ないけど、一緒に大島は着られない。私は親がいいものを揃えてくれたからさ」と言いました。

今でも、忘れることのできない言葉です。

彼女が言ったのは本当のことですが、正直、彼女の言葉はショックでした。もっと別の言い方もできるのに、と。しかも「親がいいものを揃えてくれた」など、私が自分で買ったのを知っているのに、言わなくても良い言葉です。まるで「アンタの親は買ってくれないけど」と言われているようで嫌な気分になりました。私は、彼女が自分よりも高級な着物を着ていても、一緒に着物を着て出掛けられれば、それで楽しかったのに、彼女は私の着物の値段をいつも値踏みしていたことがショックでした。ただ、私が恥をかかないようにと思ったならば、黙って「高級な大島」を一緒に着ないようにすれば良いだけだと思います。

結局のところ、彼女は親友のふりをしていつも私を見下していたことが、今は分かります。それまで、それに全く気づかなかった私が鈍かったのかもしれません。他の出来事も重なり、一生の友だと思っていた彼女とは、残念ながら、今は全く交流がありません。

なんでも真似して奪う女友達

思えば、彼女は中学時代から、私のすることを全て真似して、そのことで周りの注目を集めようとしていました。一度だけ、私はそのことで彼女に抗議したことがありました。

中学生の頃、私はタロットカードに興味を持ち、それを使って占いをして楽しんでいました。占い自体を私は信じていませんでしたが、カードの意味を繋げて、色々なストーリーを作るのが楽しかったのです。部活メンバーとそんなことを楽しんでいると、親友も同じようなことを始めました。
私は同じ趣味を持てて嬉しかったのですが、ある日、私がトレイに入っている間に、私のカードを勝手に使って皆の占いを始めたのです。私よりも頭の良かった彼女は、私よりもずっと上手に占いができましたが、私のカードを勝手に使い、「返して」と言っても返さずに、占いを続けていたことに私は怒りを覚えたのです。

いくら親友でも礼儀があるだろう、と。

親友は逆ギレ気味に「私の方がみんなに頼られてるからって、僻まないでよ!」と、カードを無造作に返され、しばらく「絶交」状態でした。けれど、しばらくすると、また仲良しに戻り、別々の高校に進んでも常に交流があり、いつも日曜になると二人で出掛けたり遊んだりしていました。

私が、イラストを趣味にしていれば彼女もそれをやり、手芸で何か作れば彼女もそれをやりました。彼女が私よりも上手にすることもあれば、その逆もありました。

ずっと「親友」だと思っていたのに

社会人になると、再び強く違和感を感じる会話がありました。私は正社員で働き、彼女は非常勤講師として学校で働いていました。それは彼女が自ら選んだことで、敢えて正職員ではなく非常勤を選んだと言いました。
「お給料いくら?」
ある日、彼女がそう聞きました。私は、なんの抵抗もなく「親友」に自分の手取り額を答えました。当時、バブルの終わり頃でしたが、私の勤務先は設備投資はすれど、女性社員にお金を使う会社ではく、決して良いとは言えない給与でした。
彼女はそれを聞くと、
「よく、そんな額で働けるね。私は時間3000円もらってる。時給2000円以下の仕事なんてする気にならない」と言い放ちました。当時の時給は800円以下の仕事も普通にありました。

その後、彼女の結婚が決まった時、私は既に一度目の離婚をした後でしたが、「結婚式のベールを作って欲しい」と頼まれました。海外で2人だけで式を挙げるという彼女のために、私はフランス製のチュールに細かな刺繍をし、ベールを仕上げましたが、彼女はそれを見て「やっぱり、離婚歴のある人が作ったベールは縁起が悪いから、いらない」と言いました。「親友」のために特別なチュールと糸で、何ヶ月もかけて作ったベールなのに……、と信じられませんでした。
「本当に私が作ったベールでいいの?」と何度も念を押したのに。

彼女にとって、私は親友ではなかったのかもしれませんが、私は彼女のことをずっと大切な友人だと思っていたのです。

彼女は、自分の親の土地に家を建ててもらい、娘が二人いますが、今はどうしているのか知りません。
お気に入りだった大島紬の着物を見るたびに、彼女のことを思い出して微妙な気分になります。若い頃の私は鈍感か、バカかどっちかだったのだなぁ、と。

スポンサーリンク

女友達

Posted by Hana